あとぢゑ~る

あとぢゑ〜る

大人の発達障害と麻雀初心者の歩む道

🐛恐怖症を努力と根性で克服する方法

お題「わたしは○○恐怖症」

 

今回は恐怖症を努力と根性で克服しつつある話をしようと思う。

私は、ゴキブリや蜘蛛やゲジゲジ素手で掴めるのだが、芋虫だの青虫だのの幼虫の類は大大大の苦手だった。
それは「ゴキブリ」という名称を見るのも嫌で「G」と省略する人の気持ちと同じである。
私もかつては「幼虫」「芋虫」「青虫」という単語を見るのも嫌で書くことも忌避したし、それら現物が視界に入ろうものなら震え上がって、しばらくはトラウマでゾワゾワしていた。
ああいったキャタピラ状の幼虫は大きなものから数ミリレベルのごく小さなものまで全て駄目だった。
敏感で視力も良かったので、微細な幼虫でも存在に気づいた。
ジャガイモの芽のフリして潜んでいたものまで気づけてしまうほどには。

子供のころから苦手ではあったものの、かつてはそこまで恐怖ではなかった。
幼稚園くらいの時に、母からキャベツにいた青虫を飼育して観察しろと言われ、自分の部屋に置いていたこともあったのだから。
(結局、青虫は蛹にはなった形跡があったが、成虫にはなれなかった)

さらに小学2年生だか3年生くらいのころに、これまた母から庭にいたデカイ芋虫を学校に持って行って皆に見せるように言われ、菓子缶の中に入れて持って行ったこともあった。
抵抗もせず、言われるがままに従っていたところをみると、当時の私はそこまで幼虫類に恐怖心を持ってはいなかったようだ。
どちらかといえばミミズの方が苦手だったのだ。
(ちなみに今はミミズのことなど全く何とも思っていない)

しばらく私は都心で生活していたので、幼虫類を見かけることが少なかった。
縁遠かった間に免疫がさらに薄れてしまったようで、恐怖症はますます増悪していた。
年齢による感覚の変化もあったのかもしれない。

郊外に引っ越して、久々に幼虫類を多く目撃するようになって震え上がった。
庭の草むしりが苦行であった。

それでも何とか自分で少しずつは行なっていた。
……が

最初の年の8月も半ば過ぎたころ、黒い幼虫(たぶんスズメガの小さいヤツ)が雑草にくっついていた。
それまで地面から出てくる白っぽいヤツにも必死で耐えていたが、もう駄目だった。
それから気持ち悪くて草むしりができなくなり、雑草は伸び放題に。
手に負えなくなって、業者に依頼しなければならない始末だった。


その翌年だったか翌々年だったか。
スズメガの幼虫が庭に大繁殖してしまったのだ!
あの、デカイ芋虫である。

私は元々、電車も通っていない田舎育ちだったので、あの芋虫の存在を知らなかった訳ではなかったが、長い都会生活ですっかり御無沙汰しており、久々に目撃した時は、それはそれはもう戦慄した。
少なくとも半径5メートルは後ずさった。
それでも草を毟らねばと思い、他の場所に移動したが、そこでも新たに別のヤツが現れた。

もももももう、無理~~~~~~~!!!!!!!

それから、連中が繁殖している間はずっと慄いていた。
庭にアイツらが一杯いると考えるだけで気持ち悪かった。
ノイローゼだったね。
しかしそれを機に、冬になってから意を決して庭を全面的に耕した。
少なくとも家の近辺には連中の隠れるスペースを作らないようにしたかった。

このように大の幼虫嫌いであったが、それでも心のどこかで克服したいという気持ちがあった。
苦手な生物が存在するのは天敵がいるようなものだからだ。
ネットを閲覧中にも不意打ちで幼虫類の画像を目撃することがあり、それで身を削られるのも嫌だった。
幼虫類が苦手だと表に出せば、自分の敵に回った人から嫌がらせで送りつけられそうなどと被害妄想まで企てた。

恐怖の克服は”慣れ”からという荒療治

それではどうやって恐怖症を克服するのか。

以前ネットの動画で、大のヘビ嫌いを克服させる話を視たことを思い出したのだ。
それは荒療治であった。

まずはヘビの玩具を置いて慣れさせるのである。
恐怖症の人は、最初は玩具ですら苦痛だ。
しかしずっと傍に置いておくことで次第に慣れてくる。
慣れたら今度は水槽に入った本物のヘビを近くに置く。
最初は気持ち悪くて近くに寄れないが、それも次第に慣れて距離を縮められるようになり、次は水槽から出されたヘビに近寄る。
しまいには、あれほど恐怖を抱いていたヘビを直接触れるまでになっていたのである。

自分も恐怖を克服するには慣れることだと考え、それから芋虫を見かけた時は意識して観察するように心がけた。
自宅の庭にいるヤツに対しては心穏やかに眺めていられなかったが、少なくとも散歩中に見かけたものなら向かい合う気分になれた。

もう一つ、きっかけになる出来事があった。
ある時、玄関を開けたら、まだ小さい真っ黒なスズメガの幼虫が一生懸命歩いていたのだ。
その様を見て、何か「かわいい」と思ってしまったのだ。
引っ越してきて初年度は雑草でジッとしているヤツでも恐ろしかったのに、いま一生懸命歩いているヤツを可愛いと思えるようになるなんて。
これも”慣れ”の一つだろう。
 
年数を重ねるにつれて、芋虫との距離感は縮まって行った。
いつの間にか、終齢サイズのデカイやつでも足元を歩かせるくらいには余裕ができた。
視界に入ったからといって、その日ずっとトラウマに陥ることもなくなった。

この近辺を歩いているスズメガの幼虫はほとんど黒い色をしているが、まれに茶色いのもいる。
近年はその茶色いのを見かけなくなった。

伊藤若冲が描いたスズメガの幼虫は緑色をしている。
私はここに引っ越してきて、緑色のを一度だけ見たことがある。
母から学校に持って行けと言われたのも緑色のスズメガだったのかもしれない。


おそらくこれは突然変異だったのかもしれないが、オレンジ色のを見たことがある。
形は間違いなくスズメガの幼虫だった。
スマホを持ち歩いていなかったのを後悔した。
あれは写真に撮っておきたかった。

このようにして観察によって感覚が慣れていき、遂に近年では、庭に出た芋虫をチリトリに乗せて移動できるまでになった。
視界に入るだけで半径5メートル後ずさっていた自分にとっては、とてつもない進歩である。
接触らなくてもチリトリに乗せるなんて、アイツの感触を間接的にでも感じるのが嫌だったし、何しろ距離が近くて無理無理無理ゲーだったのだから。

今年も草むしり中にスズメガの幼虫がいっぺんに3匹も出現したことがあったが、全部サッサと別の場所に移動させてしまった。
そしてその後も、怯むこともなく草むしり続行である。

何だかそのうち、手袋越しなら掴めるんじゃないかとさえ思うようになった。
(芋虫は掴んだりすると孵化できなくなるらしいので、アイツらのためには触らない方が良いらしいのだが)
今はもうネットで不意打ちに幼虫の画像が出てきても慄くことはなくなった。

昨年は玄関にアゲハの幼虫がいた。
何かもうプックリしていて可愛らしいのだ。
間違って踏み潰したくはないから移動はさせるのだが、アゲハとかキアゲハの幼虫は成育を観察してみたいとも思う。
アイツらは突くとツノを出して怒る。
カマキリもそうだけど、虫が怒りのような感情を表すのは興味深い。

ちなみに、公園で働いている友人が、スズメガの幼虫を誤って踏み潰してしまったことがあったらしい。
友人曰く「パーンと音がするんだよ~~~~」と。
実際、私も彼らが車に踏み潰される瞬間を目撃してしまったのだが、パンッ!と破裂音がするのを聞いてしまった。
やはり見かけたら、移動させるのが正解なようだ。

昨年から夏はオクラの栽培をしている。
オクラはメイガだか何だかいう幼虫が付き、葉っぱをクルクル丸めてしまう。
今朝もオクラを収穫する時にデーンと毛の生えた緑色の幼虫が葉っぱの上に鎮座していた。
私はそれの上からオクラを切り取った。
かつての自分だったら、こんなに幼虫が付くような野菜は栽培できなかった。


でもブロッコリーだけはいまだに買えないでいる。
昔、ブロッコリーを茹でていたら、青虫らしきものが変色して、すっかり白くなって湯に浮かんでいたことがあった。
その直前に私は、潜んでいることも知らずにブロッコリーを包丁で切っていたのだ。
切断しないで済んだのはまだ幸いだったが、見えないところに潜んでいるというのが鬼門だ。
ブロッコリーは好きだが、あれ以来すっかりブロッコリーを買えなくなってしまった。
だいたい彼らは屋外にいるものなのだから、自宅の中では目にしたくないものだ。

 

しかしここまで来たからには、完全に克服したい。
いつかは手の上に乗せられる……かな?

努力! 根性! 気合!

正確には、「根性」とか「気合」入れなくても済むように、そのために「努力」して”慣れ”ていくということでしょ。