あとぢゑ~る

あとぢゑ〜る

大人の発達障害

🌸日本相撲協会が八角理事長である理由(2)

八角理事長(第61代横綱北勝海)は角界で不祥事が起こるたびに世間からバッシングを受け続けているが、彼にも表向きには知られていない大きな功績がある。
それは、裏金顧問こと小林慶彦を相撲協会から追放したことである。

”裏金顧問”小林慶彦の悪行

小林慶彦とは、北の湖理事長時代に相撲協会の顧問を務めていた人物だ。
北の湖の両脇に、大露羅おおろら*1と小林慶彦が付き従っているところがたびたび目撃されている。

パチンコのライセンス料絡みで、「北の湖にはバレんようにしてな」と言いながら、取引事業者から裏金を受け取っていたのだが、その現場を隠し撮りされてネット上で公開されて以降は”裏金顧問”呼ばわりされている。

↓これが隠し撮りされた小林慶彦の裏金授受場面だ

www.youtube.com

小林は協会の経理や人事を担当するお局女性職員を懐柔し、意に沿わぬ職員は異動や退職に追い込むなど、協会を牛耳っていた。
国技館の改修工事でも業者から裏金を受け取ったり、森永製菓からの金プレートを横取りするなど、やりたい放題だった。

裏金授受が公になったにも関わらず、北の湖理事長は小林を断罪することもなく、顧問に据えたままだった。
小林は北の湖の弱みも握っていたからだ。
北の湖理事長は2004年に会員制スナックで、接客を担当した女性に対して体を触ったり、叩いたり首を絞めるなどの暴行を働いて警察沙汰になっていたのだが、この事件のもみ消しを図ったのが小林なのだという。

小林慶彦の横暴を良しとしなかった親方衆ももちろんいた。
その代表が当時の九重親方(第58代横綱千代の富士)だった。
彼は小林から裏金をつかまされそうになっても拒絶した。
九重親方相撲協会の理事選でわずか5票しか獲得できずに落選したのは、本人の人望のなさもあるが、小林による工作だとも言われている。
千代の富士は現役時代、八百長国民栄誉賞を受賞したと言われ*2、傲慢な性格で評判が悪かったのだが、小林慶彦に対しては正義を貫いたとも言える。

テレビでは報道されない八角理事長最大の功績

八角親方も小林慶彦に不信感を抱いていた親方の一人だった。
北の湖死後、小林は50万円もする理事長の椅子を特注して八角親方を懐柔しようと企んだが、けんもほろろに拒絶されてしまったために、貴乃花親方と組んで八角落としを画策した。
しかし、小林は北の湖が亡くなるとすぐに相撲協会を解雇された。
この時、貴乃花親方は「何で小林さんを辞めさせたんですか」と理事長室に怒鳴り込んできたという。

八角親方は、尾車親方(元大関・琴風)らと協力し、小林慶彦と全面的に争う決意をした。
小林慶彦は相撲協会相手に解雇を無効とする地位確認訴訟を起こし、相撲協会は小林の背任行為に対して1億6500万円の損害賠償請求訴訟を起こした。

小林の在職中に背任行為を止められなかった理由について、八角理事長や尾車事業部長は、北の湖理事長の意向に逆らえなかったという趣旨の証言をしている。
旧態依然とした上下関係に縛られた角界の体質を表現したものだ。
これらの訴訟は、いずれも相撲協会側が勝訴している。

前回の記事にも書いたように、テレビのワイドショーは相撲協会を叩くことはしても、この裏金顧問については1ミリも触れたことがない。
なので、この小林慶彦に関しては、ネットの相撲ファンの間ではかなり知られている存在なのだが、わざわざ相撲に関する情報収集でもしない限りは盲点になっている。
裏金顧問を追い出し、裁判でも勝利した八角理事長の功績は大きかったのだ。

八角理事長の人となり

北勝海について、元小結・板井は「クソがつくほどまじめ」、元小結・旭道山は「めちゃくちゃ良い人」と評している。

彼は現役時代から、まじめな常識人という評価である。
取的時代も非常にまじめだったために、付け人の仕事を免除されていたという。
彼は現役時代から「一般常識を学ぶために社会人と付き合いたい」と話していた。

八百長側の力士とされているが、それも兄弟子が”大将”こと千代の富士だったために、不本意ながら付き合わされていたと言われており、積極的な八百長力士ではなかったようだ。

『貴の乱』に収録されている相撲協会の理事会の議事録内でも、興奮気味の貴乃花親方をなだめたり、伊勢ヶ濱親方(第63代横綱旭富士)からの突き上げに忍耐している様子がうかがえる。
八角親方は、ことさらに他人と争うような性格ではないことが分かる。

小林慶彦との戦いや貴乃花の乱、そして不祥事のたびに起こる批判。
こういった数々の難局を、現役時代と変わらぬ忍耐強さで乗り越えている。
そこが八角理事長の強みなのだ。

北の湖が長期政権だった理由

一方で、なぜ北の湖は数々の不祥事が起こるさなかで、長期に渡って理事長を務められたのか。
それは、北の湖相撲協会員にとってカリスマ的存在だったからだ。

24回優勝した大横綱という現役時代の実績もさることながら、彼は基本的に温厚で、人望があった。
ガチンコでも強すぎる北の湖は、八百長をしていなければ、もっと優勝していたはずだと言われている。
他の力士に優勝がかかっていると、こころよく譲ってあげていたのだという。
八百長八百長でも、北の湖は譲り専だったというのだ。

その上、北の湖は天才的な記憶力を持っていた。
彼は自分の全取組を記憶していた。
何百人もの知人の電話番号も記憶していて、下4桁だけで誰の番号か言い当てることができたという。
ちなみに、北の湖の手相は天才の相と言われるマスカケであった。
横綱である上に、そういった常人が持たない能力を備えていれば、尊敬を集めるのも自然な流れだ。

5票落選で失脚した九重も、北の湖には敬意を払っており、事業部長に就任していたことから、北の湖も九重が次期理事長と考えていたようだ。
また、貴乃花親方も北の湖理事長に対しては敬服していて、北の湖貴乃花に目をかけてやり、早くから執行部役員として取り立てていた。
しかし、そこに”裏金顧問”小林慶彦は食い込んでいた。

貴乃花の乱と偏向報道

小林慶彦が解雇された翌年の2017年に日馬富士による傷害事件があり、そこから貴乃花の乱が始まった。

当時のテレビは、さも貴乃花親方が相撲協会を改革しようとする英雄であるかのように報道していたが、ネットで情報収集していた古くからの相撲ファンは、貴乃花親方と小林慶彦の関係を知っていたため、そういった偏向報道に憤慨していた。

週刊文春はずっと貴乃花太鼓持ちをしていたし、週刊新潮は、小林や貴乃花と癒着し、小林を全面的にかばっていた宗像紀夫から砲弾を発射して八角理事長へのネガティブキャンペーンを行なっていたのだ。

これら相撲報道を通して、私はテレビ報道をまったく信用しなくなった。
もてはやされている文春砲とやらも所詮は特定勢力におもねる報道なのだと知った。

その後、貴乃花部屋からも暴力事件が発生し、しまいには貴乃花親方が自分の部屋を放り出して協会を退職してしまったので、貴乃花は正義の人ではなかったことが証明されてしまった。

この件に関しては、不当な偏向報道や協会叩きが沈静化して相撲ファンとしてはホッとしたのだが、角界の暴力は根の深い問題であるため、一朝一夕には収まらない。
その後も角界では不祥事が相次いでいる。

辞任できない八角理事長

それではなぜ不祥事が起きても八角理事長は責任を取って辞めないのだろうか。
結局、理事長が八角だろうと、それ以外の親方だろうと、元力士ではない外部理事が務めようと、不祥事は次から次へと起こるからである。
公にならなかっただけで、昔は裏で力士が窃盗を働いていたり、病院送りにされていたり、自殺したりするようなことが当たり前のように起こっていた。
2007年に時津風部屋で死者が出て以降、ようやくこういった問題が明るみに出るようになったのだ。

理事長が八角だから不祥事が起こっているわけではないし、不祥事が起こるたびにいちいち理事長が辞任していたら、かえって組織が混乱するだけだ。
小林との裁判で、八角や尾車が北の湖理事長に逆らえなかったと証言しているように、相撲界は番付社会であり、根強い上下関係に支配されているために、若手が理事長になったからといって、大幅に改革できるものでもない。
年寄名跡問題を改革しようとして失脚した境川理事長(第50代横綱佐田の山)のようなケースを見ても、相撲界の改革は容易ではないことが分かる。

しかしながら八角理事長も、パワハラや不当人事などを行なった宮田哲次主事を断罪できなかったことから、人間関係によるしがらみにより、泣いて馬謖を斬ることができないという長期政権ならではの問題を起こしているように思う。
あるいは、宮田主事を切ることで、新たな不祥事の暴露を恐れているのかもしれない。

不祥事がやまなければ、ジャニーズ事務所宝塚歌劇団同様に、外部からメスが入ることもあるだろう。
ジャニーズ事務所のように一度協会を解体し、相撲部屋制度を無くすべきだという世論になったとしても、残念ながら抗弁はできない。
それほど根の深い問題であることは、長年の相撲ファンとして分かっている。

任期中に八角理事長本人に不祥事がなく、無事定年を迎えることができ、その後も協会の根幹を揺るがすような問題が生じなければ、いずれ八角理事長は功績の方を正当に評価される時が来るだろう。
私は、そうであって欲しいと願っている。
そのためにも、相撲協会が自浄作用を失ってはならないのである。

*1:ロシア出身の力士。最重量を記録した力士として知られており、腹が邪魔をしていたために手付き不十分でも見逃してもらっていた。頭が良かったので、長年北の湖の秘書として付け人を務めていた。引退後は故国に帰り、インスタグラムで近況を伝えているが、現役時と比べて、かなり減量している。

*2:ただし、ガチンコで取っても千代の富士は強かったと元小結・板井圭介は回顧している。