あとぢゑ~る

あとぢゑ〜る

大人の発達障害と麻雀初心者の歩む道

🐓若冲・カラヴァッジオ・応為・東博など

お題「好きな画家は?行ってよかった・おすすめの美術館のエピソード」

好きな画家

カラヴァッジオ

バッカス』に一目惚れしてハマった画家。
いずれの作品も陰影とのコントラストが特徴的だ。
展覧会を観るため、東京都庭園美術館国立西洋美術館に二度足を運んだ。

最も好きな作品は『マグダラのマリアの法悦』。
微かに白眼を剥いた、その表情に釘付けになってしまう。
片肌が脱げているのだが、乳房の膨らみを感じさせないせいか、大っぴらにエロい描写ではない。
ただ、腹が膨れているのは気になる。
キリスト教徒には禁忌なのだろうか、マグダラのマリアはイエスの妻説もある。

私が初めてこの作品に触れたのは庭園美術館だったが、2014年に原画*1が発見されているので、庭園美術館で観たものはカラヴァッジオ本人による複製画*2だった模様。
しかし原画であろうと複製であろうと、圧倒されることに変わりはない。

これは”法悦”なのだろうか。
原画の方は”無”の境地に見え、その分、”死”への近さがある。
複製の方は顔のシワに苦悶の痕が見え、それは”生”である。

カラヴァッジオの描く女性はエロスをあまり感じさせない。
ラ・トゥールの描く女性なんて乳房が見えなくても、漂うようなエロスを感じさせるのに)
むしろ、女性よりも男性の方がエロく描かれているのではないか。
男性は少年から老人まで、着衣の乱れ具合がエロティックなのである。
対して女性は、何だか勇ましい方向の作品が多い。
剣を携える『アレクサンドリアの聖カタリナ』、蛇を踏みつける『聖アンナと聖母子』、『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』は題名そのままである。
『ロレートの聖母』は慈愛とはかけ離れた冷淡な表情をしている。
しかしだからといって、カラヴァッジオは女性を無機的に描いている訳でもない。
彼の描く女性は余裕を持っているか、逆に嫌がったり悲しんだり、子供のような表情をしている。
逆に少年は大人びた俗っぽい表情で描かれることがある。

この人も相当荒くれていて、殺人を犯したこともあったようだ。
凄まじい芸術家に変人が多いのは常だ。

伊藤若冲

伊藤若冲はテレビで視て知った。
緻密な筆致と鮮やかな色彩に釘付けになった。
江戸時代にこんな写実的な絵画が存在していたなんて!
これも一目惚れだった。
それからすぐに『目をみはる 伊藤若冲の「動植綵絵」 (アートセレクション)』を買った。

商家の跡取りがサッサと弟に家督を譲って引っ込んでしまい、生涯妻帯することもなく、絵を描くことに専念したところを見ると、偏屈な人嫌いのように見えるが、彼の作品群からは、優しさや情を垣間見ることができる。
『伏見人形図』の愛らしさや素朴感は、迫力ある鶏とはかなりのギャップがある。
『群魚図』に見られるタコの足にその子供と思しき小さなタコがしがみついてる様はとてもユーモラスだ。

若冲の凄いところは、一目で入ってくる強烈な画風でありながら、前述のように温もりを感じさせる描写であったり、写実から一歩先を出てデザイン的であったりするところだ。
『菊花流水図』では、線描だけであらわされた白い菊が透き通っているかのようである。

しかし何と言っても彼の真骨頂は鶏だ。
鶏の絵だけで闘えるのではないかと思えるほどの凄まじい存在感なのだ。
若冲が描けば、鶏もまるで鳳凰なのである。

葛飾応為

葛飾応為はあの葛飾北斎の娘であるが、「葛飾北斎の娘」という括りで語れないほどの天才絵師だ。
何しろ北斎をして「美人画を描かせたら敵わない」と言わしめるほどの画力の持ち主だったのだから。
北斎の娘だからこその画力でもあるのだが、それぞれの絵から伝わる空気感は応為ならではのものだ。
光と影の表現といえば、西洋絵画ならではの技術とばかり思っていたが、それを覆すほどの作品を遺している。
ラ・トゥールが描いたような、あの薄らぼんやりとした灯りを浮世絵で表現するとは。

『三曲合奏図』なんて構図が凄い。
この絵からは、もの静かな音色よりも、ダイナミックな音が聴こえてきそうだ。
父・北斎が風景画を得意とするなら、娘の応為は人間を得意としたのだろう。
関羽割臂図』は言われなかったら女性の絵とは気がつかないほどの迫力だ。
昔からこういう性差を越えた仕事をする人はいたのだ。

応為こと「お栄」はがらっぱちな女で、清楚な大和撫子像とは対局にあるような気性だった。
思ったことを口に出してしまい、夫の画力をバカにして離縁されてしまったような人だ。
その上、彼女は酒も煙草もやっていた。

北斎父娘は住まいを転々とし、絵を描くことにしか関心がないので、家は常に散らかっていたという。

やはり天才絵師とは変人なのだ。 

ラ・トゥール

胡散臭げな横目をしたイカサマ師の絵が知られており、私も子供のころから目にしていたが、彼の絵の魅力は夜の灯りの表現にある。

マグダラのマリアの静かな美しさに惹かれてしまった。
西洋絵画の美女は金髪や巻き毛で描かれることが多いが、ラ・トゥールが描いたマグダラのマリアはストレートの黒髪をしている。
顔つきも平面的で、東洋人風である。

ルイ13世付きの画家だったにも関わらず、事績があまり残っていないようだ。
ベルサイユのばら⑫エピソード編Ⅱ』では、オスカルの母が実はジョルジュ・ド・ラ・トゥールの曾孫だったという設定になっている。

松本英一

『美術年鑑』で知った多摩美術大学教授の画家。
『退屈な風景』な風景というが、その世界に入ってみたくなる不思議空間。
『さくら・うし』はソーセージがうっすらと微笑んで宙に浮いているかのよう。
牛の乳だけが切り取られて描かれていたり、シュールだけども心地よい。

 

鴨居玲

鴨居玲は母が好きな画家だった。
大抵は自画像なのだが、自身のドロリとした内面を湧き上げたかのような表現に見える。

 

おすすめ美術館

東京国立博物館

東京国立博物館には伊藤若冲展も含めて何度か足を運んだ。

やはり首都にあるだけあって、地方の国立博物館と比べ物にならないことは、鎌倉仏教彫刻の展示で分かった。
奈良の国立博物館で見た時、明るい照明の下、ガラスケースに入っている仏像群にちょっとがっかりしたことがあった。
仏像が好きでわざわざ和歌山まで足を運んだ友人も同じことを言っていた。

上野の東京国立博物館の展示は圧巻であった。
薄暗い空間に下からライトアップして仏像のシルエットを映し出している。
寺院の外に搬出した上で、どうしたらその造形美を最善の形で演出できるか、よく練られている展示だと思った。

国立西洋美術館

国立西洋博物館はカラヴァジョ展で一度だけ行った。
庭園美術館の雰囲気もとても素晴らしかったが、やはり展示の量は庭園美術館よりも充実していたように思う。
実物は画集で見るよりもずっと美しかった。
肌やブドウの実の透明感が伝わってくる。
ブドウなんて、今にも弾けて水分が溢れ出てきそうなほど。

いずれも東京・上野に存在する。
このような素晴らしい博物館に足を運べる距離に住んでいるのは幸いである。

*1:原画ではないかと言われている段階であって、確定ではなさそうだ。以下「原画」と表記する。

*2:『マッダレーナ・クライン』か?