あとぢゑ〜る

大人の発達障害と麻雀初心者の歩む道

🀄昭和世代の麻雀

昭和世代に浸透した麻雀

団塊ジュニア世代の私は、今から四年前の2019年に麻雀を始めた。

 

実は大学時代にも、ちょっと麻雀に興味を持ったことがあった。

理由は漫画のネタにしたかったから。

キャラが麻雀を打つ場面を描きたくて入門書を買ったが、結局書かれていることがチンプンカンプンでろくに読まずに挫折してしまった。

麻雀を知っている同期生から「面白いよ」と言われて手描きの図説までもらったが、やはり実際に卓を囲まなければ面白さを実感するどころか、何を言われているかすら分からぬ始末だった。

 

そうしてそのまま歳月が流れた。

もう十年近く前の話だが、自分が班長として自治会の総会に出席した時、予算問題で険悪になっていたところに「健康麻雀をやりたい」と言って場を和ませたおじさんがいた。

そのことが強く印象に残っていた。

 

次に麻雀に触れる機会があったのは、自分が管理当番を務めている近所のコミュニティ施設で盛んに健康麻雀が行なわれていたからだ。

将棋でもなく囲碁でもなく、とにかく麻雀。

施設主催の大グループから個人的な集まりの小グループまで、麻雀だけで複数の団体が利用していた。

健康麻雀をやりたいと言って場を和ませたおじさんが記憶によみがえった。

「麻雀って人気があるんだなぁ」と思った。

 

定年退職したおじさん達が若い頃には、ネットも無く、テレビゲームも今ほど普及していなかったので、集まってやることと言えば麻雀だったのだ。

 

彼らは学生寮や社員寮で集まっては麻雀をやっていた世代だ。

麻雀は基本的に4人で行なうゲームなので、人数が足りなければ、そこら辺にいるヤツを捕まえては誰でも座らせていた。

誰でも――つまり麻雀のルールを知らない人間でも座らせたのだ。

最初は付き合わされただけの人も繰り返していくうちにルールを覚えていく。

若ければ覚えも早い。

なので、今の高齢者たちは学生のうちから麻雀をしていた人が少なくない。

 

昭和のころは緩かったので、麻雀と言えば即ちギャンブルだった。

公務員だって当たり前のように賭け麻雀を行なっていたのだ。

ある人は言う。

「賭けないと上達しない」

お金が掛かっていると負けられないから、皆必死になって麻雀の勉強をするというのだ。

なるほど、確かに。

 

そして会社員のおじさん達はプライベートだけではなく、職場で”接待麻雀”もやらされていた。

そうすると「会社で散々接待麻雀をやらされたから懲りちゃって、今更やりたいと思わない」という人達も出てくる。

 

今の高齢男性にとっては、そのくらい麻雀は常識的に浸透した娯楽だった。

嫌々麻雀に付き合わされて離脱してしまった人もいるが、麻雀というゲームの面白さを純粋に楽しみたいという人たちが、今や”健康麻雀”という新しい形で近所の施設に集まっているのだ。

 

新しい麻雀の形

麻雀にギャンブルのイメージが付きまとってしまったこと、テレビゲームやネットなど他の娯楽が普及してきたことで、麻雀は衰退の一途をたどっていた。

昔は旅館やホテルで当たり前のように麻雀卓が置いてあったそうだが、今は無くなってきているとも。

 

確かに麻雀人口は減っているだろう。

現に我々団塊ジュニア世代は麻雀とは馴染みがないまま過ごす人がほとんどだ。

麻雀を知っている人は家族が麻雀をやっているからというケースが多い。

入門はドンジャラだったという人もいる。

 

 

そんな麻雀が、最近は”健康麻雀”として再注目されている。

かつての麻雀は賭け事であり、煙草モクモク、酒を呑みながら打つのがセットだった。

「賭けない・吸わない・呑まない」を標榜して、麻雀に付き物の負の要素を取り除き、麻雀のゲームとしての魅力を普及していこうという取り組みだ。

 

更に、『Mリーグ』という麻雀プロのリーグ戦を観戦する「見る雀」や、『天鳳』『雀魂』といったオンラインで打つ麻雀の登場で、若い世代にも知られるようになった。

 

団塊ジュニア世代の私は、若い時分から卓を囲んだガチ勢でもなければ、ネットから入ったオンライン勢でもない。

こんなところでも氷河期だなぁと実感するのだが、狭間にいるだけに、昭和麻雀にもオンラインにも振り切れずにいられるという利点もある。

 

年齢的に若くなく、ADHDという不利も抱えた自分がどのようにしてマトモに麻雀を打てるようになるのか、考えてみたい。