あとぢゑ〜る

大人の発達障害と麻雀初心者の歩む道

🀄麻雀入門したけれど

私が育った家庭は、麻雀のマの字も無かった。

麻雀とは無縁の世界にいた。

それでも、ヤクザな雰囲気が漂う麻雀には憧れがあった。

麻雀を打てる人はそれだけでカッコよく見えたし、羨ましかった。

将棋もそうだ。

自分の知らない世界を知っている人たちだ。

何より、そういうゲームができるだけで頭が良さそうに見えてしまう。

 

麻雀を知らなかったころでも聞いたことがあった用語は「リーチ」「トンナンシャーペーハクハツチュン」「国士無双」「役満」くらいだったろうか。

興味はあったが敷居は高かった。

 

そんな時、近所のコミュニティ施設でOさんから「麻雀を始めてみないか」とお声が掛かった。

Oさんは初心者向けの麻雀教室をやっていたのだが、四人埋まらない時のために人数を補充したかったようだ。

「やります!!」

二つ返事だった。

 

憧れの麻雀! 私にもできるかな???

🀄🀄🀄

 

麻雀の厚くて高い壁

最初に雀卓を囲んで牌を前にした時、不思議な気分だった。

ついに自分も麻雀をやるんだ。

 

しかしADHDにとって、最初の壁は非常に厚く、そして高かった。

何しろリアル麻雀は最初に覚えなければならないことが山のようにあるからだ。

その点はネット麻雀と格段に違う。

 

リアル麻雀は自分で洗牌して積み上げたり、理牌をしなければならない。

ネットなら全部やってくれる。

東南西北は反時計回りだが、牌は時計周りにツモってくる。

ネットならそんなこと考えなくていい。

サイコロを振って7が出たら西家、12が出たら北家などと判断しなければならない。

ネットならそんな手間も省いてくれる。

ドラは表示牌の次だ。

ネットなら考えなくても印を付けてくれている。

他のことに気を取られて鳴くのを忘れようが、ネットなら知らせてくれる。

テンパイ時の切る牌も、アガリ牌も教えてくれる。

だからメンチンの多面待ちだって怖くない。

フリテンの心配もナシ。

点数計算だって、ぜーんぶやってくれちゃうのだ。

ネットならね!

 

しかし、これら一連の作業を自分で行なうからこそ麻雀をしているという実感が湧くというものだ。

 

実は牌を並べる時、いちいち17個ずつ数えていた。

当然ながら、そんなやり方では時間が掛かってしまう。

積み上げるのも三分割ずつだった。

 

そんな自分がある時から、早く並べられるようになり、一度に積み上げられるようになった。

それは入門書を読んでコツを知ったからだ。

 

私は新しいことに取り組む時、本を買って読んでいる。

今はネットで調べられるから、本なんか買わない人も多いだろう。

私はダメなのだ。

根本的にアナログ人間なのかもしれないが、勉強する時は本が良いのだ。

長文を読む時くらいはブルーライトから逃れたいというのも大きな理由だ。

 

まずは書店に向かった。

自分にとって取っ付きやすい入門書を探すのが目的だ。

学生時代に入門書を買って挫折した苦い記憶がよみがえる。

当時の本は黒一色か2色刷りで、文章も堅苦しく、入門者にやさしい内容とは言えなかった。

それが今はフルカラーだし、漫画付きで、初めての人にも分かるようになっている。

 

私が選んだ本はコレだった。

「東大式」と仰々しく書いてあるが、入門書なので内容にはあまり関係していない。

漫画を描くのが好きだった元オタクとしては、特定のキャラクターが登場したりして取っ付きやすそうに見えたのだ。

最近の本は右も左も分からぬ入門者が分かるように図解されている。

牌の積み上げ方のコツもこの本に書いてある。

いちいち17個数えなくても、真ん中に5個、両脇に3・3と並べていけば17個になる。

確かに言われてみればそうだ。

手際良く牌を積み上げられるようになっただけで、少し進歩した気になれる。

と言うより、脳の負担が減るのだ。

 

本って凄い。

先人の知恵と知識が詰まっているのだから。

 

麻雀教室に本を持ち込んでいたら、O先生が言った。

「自分で本を買って勉強する人は上達するよ」

 

趣味の麻雀教室なのに、O先生の指導はかなり厳しかった。

私には優しかったが、怒られてばかりの人もいた。

 

教室がある日の管理当番をしていたFさんが「Oさんは教え方が上手なのよ」と言っていたが、それは後々になって実感することになる。

 

卓を囲む前に真っ先にO先生から叩き込まれたのが「役」だった。

「これを覚えるように」とズラ~リ。

短期記憶が弱く物覚えが悪い自分には、苦行でしかなかった。

趣味で習いに来てるのに、まるで新しい仕事を叩き込まれている気分だった。

 

そして、実践で卓を囲むのだが、そのころはアレを切れコレを切れと言われてもチンプンカンプン。

最初に字牌か1・9牌を切るということくらいしか頭に入らなかった。

 

もう一人のM先生からも言われた。

「麻雀は柔軟に」

「麻雀は一人でやるんじゃない。四人でやってるんだ」

これも後々に実感することになるのだが、守備を知らなかった私は自分の手しか見ておらず、放銃ばかりしていた。

 

ADHDの私の頭はメモリ不足のPCみたいなもので、オーバーヒートしていた。

手順にはついて行けないし、何をどうしたらいいか分からない。

先生たちから言われていることも理解できなかった。

一局やっただけで脳は疲労困憊だったので休みたかったのだが、他の人たちからは「やりなよ、やりなよ」「やらないと覚えないよ」と促されるので、終わったらやっと解放されたという気分だった。

当初はとても楽しめるなんてものではなかった。

とにかく疲れ果てていた。

 

それでも何度か通ううちに手順だけは少し慣れて、麻雀ちょっと楽しくなってきたかも……という感触にはなっていた。

そんな時に、コロナ禍がやって来てしまったのだ。

 

せっかく始めた麻雀は、中断されてしまった。