古代中国史*1の人物として、李斯りしに強い関心を持っている。
李斯とは、秦の宰相だった人物である。
秦は中国史上初めて統一帝国を建て、始皇帝は初めて皇帝を名乗ったことで知られる。
それほど強大な国家でありながら、始皇帝死後はあっさり滅亡してしてしまう。
子供のころ、万里の長城の話を聞きながら、秦時代の短さに拍子抜けした思い出がある。
初めて李斯の存在を知ったのは、かの有名な『史記』ではなく、『中華人民共和国演義』という本だった。
第六巻で、汪東興が華国鋒に四人組を早急に処断することを暗にうながす場面があり、台詞の中で『史記/李斯列伝』が用いられている。
権力闘争の末に敗れ、刑場に引かれていくくだりが印象に残っていたため、のちになって李斯について興味を持ち、調べるようになった。
『史記』に見る李斯の生涯
『史記/李斯列伝』に書かれている李斯の生涯をおおざっぱにまとめてみる。
李斯は楚の郡の小役人時代に便所のネズミを見て一念発起し、荀子に師事した。
それから彼は秦に渡って、呂不韋りょふいの食客となり、秦王・嬴政えいせいに仕えることとなった。
李斯の建議は秦王に採用され、彼は順調に出世したが、楚人――いわゆる外国人であったため、危うく追放されそうになった。
しかし彼は自らの弁で秦王を説得して、それを撤回させている。
李斯は法家として、政策を強力に推し進めている。
法家の性悪説とは、人間って娯楽にまみれてるとなまけちゃうから、法を立てて秩序を守ろうという思想。
要は「音楽とか聴いてうつつぬかしてんじゃねーよ、おめーら働け」
なんだ? おれのこと言ってんのか
一方で悪名高い焚書坑儒も李斯の建議によるものである。
『史記/老子韓非子列伝』によると、かつて荀子に師事した同門の韓非を謀殺したとも言われている。
そのせいもあってか、李斯は歴史上の人物として高い評価を受けていない。
しかしながら文字や度量衡を統一させるなど、秦の政策は李斯の建議によるものが多い。
李斯は強く上奏して嬴政を翻意させるほど弁の立つ人物だったことが分かる。
李斯なくして統一秦帝国が成り立ったかも分からないほどである。
嬴政が始皇帝を称すると、李斯も丞相に任命された。
李斯は自らの出自を「一介の布衣」「卑賎の身」と言っている。
卑賎の身から統一秦帝国の丞相となり、栄華を極めながらも李斯は、荀子の「物事は甚だ盛んになることを禁ず」という教えを思い起こしている。
始皇帝の死後、李斯は宦官の趙高にそそのかされて、始皇帝の末子である胡亥を二世皇帝とすることに協力してしまった。
趙高を後見人とした胡亥は、暴政を繰り返した。
李斯は趙高との権力闘争に敗れて捕らえられ、拷問を受けた末に、腰斬の刑に処された。
↓「李斯列伝」が収録されている『史記6 列伝二』
史書によって変えられる記録
『史記』に書かれていることが、どこまで真実なのかは分からない。
2009年に発見された竹簡『趙正書』では、後継者に胡亥を推薦したのは李斯であり、始皇帝がそれを裁可している。
『史記/老子韓非子列伝』によると、秦王時代の嬴政が『韓非子』に傾倒するので、危機感を感じた李斯が韓非を謀殺したとされるが、『戦国策/秦策』では、韓非が秦王に姚賈ようかについて讒言したために誅殺されたと書かれている。
そもそも、韓非は荀子の弟子ではないという説もある。
このように、史書によって内容が異なるケースが多々ある。
ちなみにWikipediaでは、李斯の字あざなは「通古」とされているが、これも明代の史書が出典なのでアテにならない。
著名な史書が必ずしも正しいとは言い切れないな
古今共通、権力者の失脚
前述の『中華人民共和国演義』では、李斯が処刑される前に、ともに刑場に連れて行かれる息子に言った台詞が「今になって百姓になりたいと思っても、もう不可能だ」となっているが、『史記』では「おまえともう一度、犬を連れて、(故郷の)上蔡の東門から出て兎狩りをしたかったが、それももう叶わない」となっている。
まったく異なる台詞に変わっているのはなぜなのかと思ったが、「百姓~」の方は、どうやら元は劉少奇が発した台詞だったようだ。
劉少奇は国家主席を務めながら、文化大革命で失脚し、暴行を受けた末に亡くなった。
『中華人民共和国演義』の著者が、李斯の生涯に劉少奇と相通ずるものを感じて、このように台詞を書き変えたのだろうか。
劉少奇が名誉回復する前の場面であることから、この台詞を出すことで、名を出さずして劉少奇を想起させる効果を与えている。
いずれにしても、歴史に関する記述は古今いかようにも書き変えられてきた。
凄絶な李斯の最期
李斯の最期は想像以上に惨いものだった。
彼は捕らえられると再三に渡って拷問を受けた。
捏造された罪で三族皆殺しとなった。
李斯は鼻をそがれ、耳を落とされ、脚の腱を切られ、しまいには腰を切断されるという、凄惨極まりない刑によって命を終えた。
権力者がパワーゲームに敗れて失脚し処刑されることは、近現代においても起こっている。
卑賎の身から帝国の宰相となり、栄華を極めた末に失脚し、凄惨な死を遂げた李斯の劇的な生涯は否が応にも印象に残る。
その李斯に強い関心を持って著された本もあり、次回はそれを取り上げることにする。