あとぢゑ~る

あとぢゑ〜る

大人の発達障害

📖JCO臨界事故『朽ちていった命 被曝治療83日間の記録』

ずっと気になっていた本『朽ちていった命 被曝治療83日間の記録』を図書館で借りた。
1999年9月30日に起きた東海村JCO臨界事故で被曝した作業員が亡くなるまでの治療記録だ。

 

被爆した作業員の治療状況や亡くなるまでの過程が生き地獄だということは、当時の週刊誌報道でも知らされてはいた。
自分自身だったら、もし自分の家族だったら、安楽死させて欲しいと願うだろう。
大内久さん自身は「俺はモルモットじゃない」と訴えていたのに、御家族が大内さんの生を望んでいることを理解できなかった。
私は安らかな臨終ではなかった身内に対して、「頑張れ」とはとても思えなかったからだ。

しかし、本を読んで、御家族の気持ちが少し理解できた。
大内さんは家族仲がとても良かった。
大内さんの家族は、当たり前のように寄り添っていただけなのだ。

最後までモヤモヤとした気持ちが残ったのは大内さんの治療に取り組んだ医療チームの心理だ。
蘇生に成功したり、心筋だけが破壊されていなかったことについて、何人かが「大内さんは最後まで生き延びようとしていた」と思い込もうとしていた。
しかし、大内さんが意識が無くなる直前に訴えたのは「やめてくれ」「もう嫌だ」「俺はモルモットじゃない」という言葉だ。
それは間違いなく、大内さん自身の意思ではないか。
大内さんが心停止から蘇生したのは、彼が生き延びたかったからではない。
現代の医療を駆使して、無理やり生かされたのだ。

通常、突然亡くなった人や、眠るように死んだ人に対して「生きるのを諦めた」などと言ったりはしない。
それなのに、臨終が安らかではなかった人に対しては、なぜか人は「最後まで生きようとしていた」と言う。
それは単に、日本には安楽死が認められておらず、死を能動的に選択できないというだけだ。

医療チームには、治療をするという選択肢以外なかった。
助けることはできないと分かっていても、治療するしかなかった。
大内さんの凄惨な姿を最も近くで見ていて、その苦しみを終わらせてあげるどころか、逆に長引かせなければならなかった。
本人の意思に向き合って、それを肯定してしまうと、自分たちの医療行為を否定してしまうことになる。
それはアイデンティティの崩壊に等しい。
医療スタッフが「大内さんは最後まで生き延びようとしていた」と思い込もうとするのは、正常性バイアスなのだろう。
看護師の中に、正常性バイアスに陥らず、大内さんを治療することに葛藤を持ち続ける人たちがいるのは、大内さんの人柄に直接触れたことによる親近感と、患者を救命するという職業的な使命感の狭間で、バランスが取れていた立場にあったからではないだろうか。

しかし誰しも、大内久さんや、もう一人の亡くなった作業員の立場になったら、安らかに死なせて欲しいと思うのではないだろうか。
私だったら、このような生き地獄の延命は絶対に御免だ。
まして治療過程の写真まで曝されるなんて。

事件・事故・災害の被害者は、なぜこうも人権が守られないのだろうか。