
仏教の瞑想は”無”の境地に達するために行なうが、マンドフルネスは何らかの目的を持ってやるものらしい。
一般の人々がやっていることは、おそらく「マインドフルネス」なのだろう。
私も”無”になろうなどと大それたことは目指しておらず、「即今当処」に至れれば良いと考えてやっていた。
5ちゃんねるで気になった書き込み。
仏陀「宗教にはするなよ」弟子「はい」。仏陀「遺骨を崇拝したりするなよ」弟子「はい」 [421685208]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1735870334/65
65 名無しさん@涙目です。(愛知県) [MD] 2025/01/03(金) 12:39:22.57 ID:9E1RYYTK0
瞑想はずっと続けてて、まぁ悟りなんてものに達するにはあと300年くらい必要だとは思うが、
ふと子供の頃の風景や匂いが浮かんできて言い表せないような幸せな気持ちになることがあるだろ?あれを2,3呼吸すれば
そうなれるようになって、酒でも薬でもなれないような多幸感に包まれることができるようになった。
何年も勉強して東大に受かった時の喜び、あれ以上の多幸感。なんで瞑想がオススメされるのか分かるよ。
でもね、これ諸刃の剣でもあってね、これ以上の幸せって多分人間の生に存在しないのよ。
だから頑張って幸せになるぞ!とかお金を儲けるぞ!とかそういう感覚と無縁になっちまう。
割と危険な状態だと思う。我ながら。
仏教の瞑想は”無”の境地に達して悟りを開くために行なうので、ここで出てくる多幸感は過渡期なのだろうけど、瞑想でこんなことが可能のなのかと驚かされた話。
備忘。
109名無しさん@涙目です。(徳島県) [KR] 2025/01/03(金) 14:18:13.80ID:kNxfTpBZ0
現代の量子物理学では情報が不滅であることが判明しているのだから
無常を説く仏教は科学的に間違っているのじゃあるまいか
常楽我浄を説く仏教はバラモン教返りしてるし
人生は努力と根性じゃなくて、「選択」と「認識」か。
なるほど、そうかも。
いや、努力もちゃんと必要だとは思うけど、いくら努力しても実らない人も現実的にいるからね。
「選択」とか「認識」によって、ピタッとハマると成功するというのは確かにある。
しかし生まれながらに「選択」「認識」すら許されない境遇というのもあるからな。
戦地や虐待家庭で生まれて殺されたり、物心つく前に亡くなったりする子供はね。
そういう人たちの存在も忘れてはならないなと思う。
私の中で、昔は女性が家畜と同じ扱いをされていたというイメージが強いので、シヴァが焼身自殺した妻の遺体から離れられないほどに悲しんで発狂したという件が意外に思えてしまった。
古代の人にもちゃんと伴侶に対する深い愛情があったんだよな。
当たり前なのかもしれないけど、当たり前のように思えなかったんだ、それが。
人間の思考って、つくづく「区別」「分別」でできてるよな、と思う。
特に発達障害者は「執着」が強くて、仏陀の智慧からはほど遠い。
こうやって思考が自分のことに戻ってしまうところがもうダメだね。