明けましておめでとうと言わねばならないところだが、自分の心は少しもめでたくないので、とりあえず今年もよろしく。
これまで、自身が抱える心身の諸問題について、かなり色々と解決できてきたと思う。
・頭痛→ビタミンD
・集中力の欠如→ビタミン剤
・陰部の臭い→無添加石鹸
・丘疹膿疱型酒皶→AIDソープ
・酒皶全般→腸活、日焼け止め
・眼型酒皶→紫外線カット眼鏡
・料理嫌い→レシピ本
・恐怖症→慣れによる訓練
・むずむず脚→自力整体
まだ起こってもいない未来について思い悩んでノイローゼになり、自家中毒に陥る脆弱なメンタルをどうにかするというのが、今現在の課題である。
例えば上記のうち「恐怖症」ではメンタル問題を克服している。
しかし今回の問題は、”慣れ”で克服できるほど機会を得ない。
仏法では、起きてもいない未来について、ああなったらどうしようこうなったらどうしようと無駄に思い悩むことは「妄想(もうぞう)」であり、離れるように説いている。
本当にこういった妄想は無駄なことだと分かっているのだが、厄介なことに、今回抱える問題は、毎度のこと「取り越し苦労」とか「案ずるより産むが易し」にはならず、疲労困憊し、嫌な気分になっては、心にどす黒く渦巻く毒を抱えて戻ってくることを繰り返している。
妄想がそのまま現実になってしまっている。
なので、妄想をやめることよりも、そうなってからの対処法を常に考えておかなければならない状態なのである。
ADHDでワーキングメモリが著しく脆弱な自分は頭の回転が遅いので、不測の事態が起きた時に適切な対処法が出てこないのが常だからだ。
お釈迦さま~ 頭の回転が遅い人はどうすれば良いのですか?
毎度このように思うのだが、そういう時に思い出すのが、釈迦の弟子の一人・周利槃特(チューラパンタカ)。
周利槃特は物覚えが非常に悪く愚鈍であったと言われている。
そんな彼が悟りを開いたと言う話。
それをごらんになっていた釈尊が言いました。
「自分が愚かであることに気づいている人は、智慧ある人なのです。
愚かであるのに自分はかしこいと思っている人こそ、本当の愚か者なのです。」
そして、周利槃特に1本のほうきを渡して、
「ちりを払わん、あかを除かん」
と、掃除をしながら唱えなさいと教えられました。
もともと仏教は無分別を説いている。
釈迦は愚鈍な人間でも差別せずに受け入れている。
ここでの「塵を掃う、垢を除く」とは、邪念を取り除けというシンプルな教えであるが、まさに今の自分が抱えている問題への解決法だろう。
そう言えば小学生の時にも同じ問題に直面した。
怖い子がいて、学校に行くのが嫌で泣いていた。
その時、別に熱心な仏教徒という訳でもなかった母が、「のの様にお祈りしてごらん」と言ったのだ。
私はあまりよく覚えていないのだが、母が言うには、お祈りをするようになってから、その子からいびられなくなったらしいのである。
これって要するに、祈ることによって瞑想のような状態になっていたのかもしれない。
今そこに意識を向けるというマインドフルネスは上座部仏教の瞑想から来ているようなので、これを実践してみようか。
禅宗の僧侶がバンジージャンプしても脳波や心拍が乱れなかったという話もあり、座禅や瞑想はやはり効果があるのか。
類友なのか、近所に発達障害を抱えた友人がいるのだけど、最近顔色がすこぶる良くなっていて、瞑想のお陰だと話していた。
お誘いを受けたけど、自分は特定の団体に関わりたくはないし(そもそもそういうカネ無いし)、仏教でも「犀の角のようにただ独り歩め」と言うので、瞑想するなら独りで実践したい。
しかし仏教って、孤独や格差を抱えた現代人の悩みに非常に即していると思うのだけど、日本の仏教が葬儀屋で終わってしまっているのが残念だ。
釈迦は別に葬儀屋チェーン店をグローバルに展開したかった訳ではないと思うのだが。