あとぢゑ~る

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大人の発達障害

🌸【訃報】北の富士勝昭の粋

昨日、第52代横綱北の富士の訃報があった。
11月12日に亡くなっていたのだという。

 

もう二年も解説を休んでいたが、今年の名古屋場所では久々にVTRで姿を見せていた。
その時は既にだいぶ弱った感じではあったし、高齢なので、さすがに解説復帰は難しいだろうと思っていた。

力士は早世が多く、元横綱で80代まで生きられれば十分天寿を全うしたと言える。
明るい性格で人生を謳歌しているように見えた北の富士は、横綱の長寿記録を更新してもおかしくはなかったが、そうは行かなかった。

私は北の富士の現役時代を見ていないが、師匠・千代の山出羽海一門から破門され、九重部屋を興した時の弟子であったこと、貴ノ花とのつき手かばい手論争や、玉の海とのエピソードは相撲ファンの間では知られている。
急死した玉の海の代わりに不知火型の土俵入りを務めたという。

引退後は、一門外ながら井筒の名跡を継承したこともあったが、私がリアルタイムで北の富士を知ったのは、大横綱千代の富士の師匠としての九重親方だった。

千代の富士の師匠と書いたが、純粋な意味では、第61代横綱北勝海の師匠だろう。

北勝海=保志は真面目な性格で、言わなくても稽古に励むので、何と付け人の業務を免除されていたのだという。
無理へんにゲンコツと言われる昭和の相撲部屋では、非常に珍しいケースなのではないか。
北の富士は、怒らずに褒めて伸ばすという、現代において推奨されている教育方法を、既に昭和から取り入れていたのだ。
孫弟子に当たる千代丸を「千代丸たん」呼びするなど、ネット用語を抵抗なく受け入れて使うあたり、北の富士の新しいものを吸収する柔軟さを表すエピソードでもある。


あまり色々なエピソードに突っ込むと長くなってしまうので、解説者としての北の富士について話したい。

彼のコンビの相手として欠かすことのできない存在が舞の海秀平だ。
北の富士舞の海は年齢が親子ほども離れている。
舞の海の現役生活は1990年からで、当然直接の対戦はない。
北の富士は元横綱で、舞の海は元小結。
番付社会の角界において、北の富士舞の海にとって雲の上の存在である。

その二人がNHKの専属解説者としてコンビを組み始めたばかりの頃だ。
舞の海は向正面席から自ら正面席に呼びかけた。
当時、向正面の解説者は、正面の実況アナから呼びかけられて初めて話すのが通例だったのだが、それを打ち破ったのが舞の海だった。
大先輩であり、元横綱である北の富士に対しても臆することなく「北の富士さん」と自ら話しかけていたが、当初の北の富士は憮然とした口調であり、「お前の方から話しかけてくるなんて顔じゃないだろう」という空気が漂っていた。
実際、以下の記事にも、当時の様子が窺える。

しかし舞の海は食い下がった。
さすがあの小さい体で幕内力士を務めていただけあって、彼の度胸と根性も半端ではなかったのだ。
彼はいなされてもいなされても北の富士に食らいついた。
北の富士も次第に態度を軟化させ、舞の海と軽妙にやり取りをするようになって行った。
ただし、北の富士の台詞は舞の海に対しては辛辣である。
それを額面通りに受け取って、北の富士舞の海は不仲だと信じる相撲ファンも少なくはなかったが、実際には違っていた。

おそらく北の富士は、舞の海の根性を見直したのだろう。
北の富士舞の海を呑みに誘い、舞の海北の富士にネクタイを贈ったりする仲になっていた。
年末の番組『大相撲この一年』でもよく共演していた。
本当に不仲であれば、そもそも共演などしない。

「俺とお前は仲良くしちゃいけないんだよ」

舞の海が嬉しかったというこの言葉は、「俺はお前のことは認めているけど、役割的に仲良くしたらダメだからな」という意味だと推察する。

北の富士は批判した相手であっても、結果を出せば賞賛し、自身の非を認める姿も潔かった。
「粋」という言葉がピッタリの人であった。
何より愛嬌があった。
だから多くの人に親しまれたし、若い相撲ファンからも絶大な人気を誇っていた。

実は彼には”休場サーフィン”という傷がある。
本場所を休場しているのに、ハワイで女とサーフィンに興じていたのである。
朝青龍が巡業を休んでいる最中、故国でサッカーに興じたことが報道され、物議を醸していたころ、休場サーフィンの前科持ちだった北の富士の口が重かったのを覚えている。
ちなみに北の富士の休場理由は「不眠症」だ。
まだ心の病について理解など到底及んでいなかった時代に、よく不眠症で休場できたものだと思う。
いかにも現代っ子と呼ばれた北の富士らしいエピソードである。

”負”の部分についても書いておく。
かつて、暴力団と繋がりがある角界人は少なくなかった。
北の富士暴力団と交流があり、千代の富士の結婚式に暴力団員が出席して問題になった。
また、現役時には拳銃を所持して書類送検されたこともあった。
この拳銃不法所持事件は若羽黒から端を発し、大鵬柏戸にまで波及した。

また、かつての親友・高鐵山は、「元・大鳴戸親方」の筆名で角界八百長問題を暴露する本を出版したが、そこには北の富士にまつわる下ネタが満載である。

 

北の富士勝昭は、良い意味でも悪い意味でも華のあるキャラクターだった。
解説者として非常に強い光を放っていた北の富士の死は、相撲史の一つの幕が下りたとも言えるだろう。