あとぢゑ~る

あとぢゑ〜る

大人の発達障害

🌀高次機能障害と発達障害の類似点

 

嫌な体験や人間関係に囚われてノイローゼになり、果ては自家中毒に陥ってしまう話を書いた。

これらはおそらく発達障害によるものだろうと思っているのだが、それと同様のケースは高次機能障害でも起こるのだと知った。

まさにこの症状、自分も全く同じなので、特に重要な部分を引用してみたのだが……

自分に不愉快なことや失礼なことを言った人のことを「一日に何度も思い出してしまう」という症状

嫌なあいつの顔が脳裏の「そこにある」と気づいた瞬間、僕の脳内のすべての注意や思考は、その人物との不愉快なエピソードの記憶に全集中し、ガッチリとロックしたように「そのこと以外を一切考えられなくなる」

その人物に不愉快な対応を受けた瞬間の苛立ちや怒りの感情が、「体験当時のサイズ」のまま、リアルにフレッシュに蘇ってきてしまう。駄目押しに、「そうなってしまう自分」を自分自身で一切コントロールできない、やめられない、止まらない。

まさにレジで3桁の会計額ですら言われた瞬間に忘れるような記憶障害を抱えている時期でもあったのだ。いま見たばかりの数字すら瞬間で忘れる状況にもかかわらず、このネガティブな記憶においては逆に記憶力が大幅に強化されたように感じられる、この矛盾……。

まさにいま手元で進行しなければならない喫緊の課題まで、全く手に付かなくなってしまう

その不安を伴う課題を直視してしまうと、脳がフリーズして、何もできなくなってしまう

その不安を「想起させるもの」が耳や目に触れるだけで反射的・自動的にドーンと頭が重くなり、脳を使う思考作業が一切できなくなってしまう

いますぐにやるべき課題が何かの判断力すら喪失し、あらゆる課題が全く進まなくなってしまう

引用だけで凄い量である。
そして、同じような内容が何度も繰り返されている。
それだけ、この書き手の方が反復的にこの症状に悩まされていることがリアルに伝わってくる。

高次機能障害でもこのような症状が起こることを知ったのだが、発達障害ととても似ているのではないか。
何より興味深かったのは、同じ人間が、高次機能障害を起こす前には体験しなかった”嫌な人間の想起に囚われないラクな状態”と、発症後の”嫌な人間の想起に囚われて苦しむ状態”両方を経験した上で、後者がいかに苦しいかを吐露していることである。
この記事は自分の症状を客観視できる発見があった。

釈迦はこのように説いている。

他人の過ち、他人のしたこと、しなかったことを気にするな。
ただ、自分のしたこと、しなかったことだけを気にかけよ。

――『ダンマパダ』50

前回も書いたが、釈迦の教えをたった一言でまとめるとすれば、「執着するな」だと思う。
他人の言動に怒るのも、愛する人が亡くなって悲嘆に暮れるのも、贅沢をするのも、権力を持つのも、これらは「執着」があるからだ。

嫌な人間や体験に囚われるのも、念がそこに執着しているから。
執着するあまり、そこからさらに嫌な「妄想」にまで発展してしまい、甚だしくは自家中毒にまで陥ってしまう。
振り払おうとしても、他のことに集中しようとしてもできない。
だから、苦しい。
結局、他人を変えることはできないので、自分自身が変わるしかないのだが、理屈で分かっていても、それができないから「障害」になっているのだ。

前回、思い悩むのはヒマだからではない、釈迦は苦行によって悟りを開けなかったという話を書いた。

釈迦は苦行ではなく、瞑想によって悟りを開いたと言われている。

この瞑想が呼吸法と関係している話も以前に書いた。

この記事を書いた時期は、意識して、瞑想と言って良いのか……深呼吸に取り組んでみたのだが、ADHDなので、ものの見事に持続しなかった。

一方で、股関節を緩める自力整体は、細々と毎晩寝る前に続けられているので、それならば、瞑想や呼吸と関係もしているヨガに取り組んでみたらどうだろうかと、本を買ったのだが……

ヨガ、挫折しましたぁ!

↓ その理由とは……(つづく)