あとぢゑ~る

あとぢゑ〜る

大人の発達障害

🌫️釈迦も悩んだからこそ仏陀になった

日本人は宗教に囚われていないことが多い。
正月には神社を詣で、結婚式をキリスト教会で、葬式は仏式で行なうのが珍しくない。
元々、日本にはたくさんの神様がいる。
便所にも貧乏にも神様がいる。
一神教ではないから、お寺の境内に神社も一緒にあったりして、神様と仏様と両方を拝むことに何の抵抗もない。
むしろ馴染みのない一神教にはカルト教団のイメージを抱いている。
だから民主主義国家でありながらキリスト教が広まらないと言われている。

カルト教団が悪目立ちするので、ますます多くの日本国民は偶像崇拝や唯一絶対神への盲信に対して抵抗を示す。
仏教は本来、偶像崇拝とは真逆の教義なのだが、カルト教団の主宰者が自身を釈迦の生まれ変わりだの何だのと騙って自らを信奉の対象とするので、一般人からますます仏教を遠ざけることになっている。

釈迦は「私を拝め、信奉しろ」などと言わない。
むしろ全く逆だ。
「私を拠り所としないで、自分自身を拠り所としなさい」と説く。

「自燈明、法燈明」
「ただ独り、犀の角のように歩め」

こういった教えは、孤立・無縁社会と言われる現代にこそ必要なのではないか。

もし、仏教の教義を一言で言い表せと言われたら、「執着しない」ことだろう。
怒りや不満は相手への要求であり、悲しみは大事なものを失うことから来る感情だからだ。
人にも物にも執着しなければ、怒りも悲しみも湧かないという訳だ。
執着してはならないのだから、当然、釈迦に執着することも彼の教えに反するのだ。
釈迦は宗教家ではなく、思想家だと言われる所以である。

原始仏典『ダンマパダ』と『スッタニパータ』の違い

仏教について知りたいと思った時に、どの仏典を選べば良いのか迷ってしまうが、私はとりあえず原始仏教と言われる『ダンマパダ(法句経)』と『スッタニパータ』を選んだ。
二冊とも読了した結果、シンプルに釈迦の教えを知りたいのなら、『ダンマパダ』一冊あれば十分だと思った。
『ダンマパダ』はそこに至るまでのエピソードや具体的な人物は盛り込まず、釈迦の教えに特化してまとめられている。
『スッタニパータ』は、弟子が釈迦に教えを乞う形式なのだが、釈迦が如何に素晴らしいかとか、釈迦が目覚めた人であるとか、そういった対話の連続なので、宗教色を強く感じてしまう。
「ゴータマ・ブッタ素晴らしい!」なんて祀り上げること自体、釈迦の教えから外れているのではないか。
しかし、そういった美辞麗句をスッ飛ばして、釈迦の教えだけをピックアップすれば、『スッタニパータ』の教義も『ダンマパダ』に書かれていることと共通しているのが分かる。
かの有名な「犀の角」は『スッタニパータ』の方に収録されているが、『ダンマパダ』にも同じ趣旨のことは書かれている。

 

原始的仏典がしばらく忘れ去られがちだったのは、その教えが社会生活にそぐわない面があったからだろう。
原始仏教に従えば、皆が托鉢する生活になってしまい、社会の営みができなくなるからだ。

釈迦は王族の出身で、何不自由のない生活を送れたはずなのだが、そんな彼が妻子もある身で出家してしまう。
釈迦の教義を見ると、彼自身が相当繊細で、恵まれた環境にあっても苦悩することが多かったのではないかと想像する。
鈍感であれば、何の疑問も持たずに自身の境遇を受け入れて生活していくだけだからだ。
「毎日忙しく時間に追われている生活をしていたら悩むヒマなどない」と批判する者がいるが、王族の釈迦だって苦悩した末に悟りを開いて、歴史に名を遺す偉人となったのだのだから、ヒマ人ゆえに悩むことが悪とは言い切れない。
何より釈迦は苦行では悟りを開けないことを知った。
つまり、人の苦悩はヒマとは関係ないと実証したようなものではないか。

それにこの記事にだって、「忙中閑あり」「七走一坐」と書いてある。

過労で睡眠不足になり、甚だしくは自死や過労死にまで至ってしまうのなら、忙しければ悩むヒマもないという話とは矛盾する。
悩む人と悩まない人がいるが、それらは生まれつきの性質であって、努力や根性とは別物だ。

実際、努力や根性ではなく、脳機能の問題であるということが、高次機能障害を負った人のケースでも分かる。
それはまた、次回に。

📚史記列伝はなぜ面白いのか

史記』は紀伝体式で、「本紀」「書・表」「世家」「列伝」で構成されているが、その中では「列伝」が面白いと言われている。
逆に言えば、列伝以外は面白くないということになる。

史記の文庫では、ちくま学芸・徳間・岩波と3種類あるが、岩波文庫版は『史記列伝』の名のとおり、列伝部分しか出されていない。
徳間は紀伝体式の分かりづらさを解消するというコンセプトで、それぞれの人物伝を編年体のように時系列別にまとめているようだ。
ちくま学芸文庫版は紀伝体そのままの完訳なので、正規の『史記』を読むならちくま版だ。

 

私はちくま学芸文庫で読んでいる最中なのだが、「世家」がなかなか読み進めるのに苦行である。

孔子世家」や重耳の「晋世家」は内容が濃く、蕭何や張良といった劉邦重臣たちの世家も興味深かったが、世家の大部分は爵録を受けた諸侯の伝として先祖代々の記録がなされているので、それがもうつらつらと「〇王の子は×と△と□で、△が◎王になった」といった類の話が延々と続く。
それらも「〇王」「□公」「△候」といった端的な諡号で表記されており、どこの家も武王とか文候とか厲公とか穆公とか「武」「文」「恵」「厲」「穆」「成」「桓」「昭」といった同じ字で諡されているので、自分が一体どこ世家の誰について読んでいるのかも分からなくなってくる。

あれ、この感想、どこかで聞いたような……

百年の孤独かよ!

アルカディオやアウレリャノばっかりで分からなくなるって、皆さん言っているけど、それみたいだ。
でも一応『百年の孤独』はそれぞれのアルカディオにちゃんとエピソードがある訳でしょ。
史記・世家』で、まともなエピソードがあるのは前述したような有名どころのみ。
「世家」は、ほとんどが「〇の子は×で、×の子が△で、△の子が~」の繰り返しなので、自分は一体何を読まされているのだろうという気になってくる。
果たしてこれは自分にとって読む意味があるのかと。
いや、その一行にも満たない〇候や△公にもそれぞれに人生があったのだろうけどね。
でもやっぱりそこに具体的なエピソードがなければ思いを馳せようがない。

ちなみに「書・表」に至っては、最後の解説で唐の劉知幾が「表なんていらねーだろ、何でこんなもの付けたんだ」とバッサリ斬り落としていることが紹介されていて、へぇ~そうなんだ、過去の歴史家もそんなこと言うんだと、ちょっとホッとすると言うのか、こんな偉大な歴史書をつまらないと思ってしまってごめんなさいという罪悪感が薄れたのは確かである。

「本紀」は結構興味深く読めた。
何しろ「酒池肉林」に始皇帝項羽劉邦だからね。
その後に退屈な「書・表」、同じことの繰り返しが大部分の「世家」と続くのだから、そりゃ「列伝」に入ったら面白くなるよ。
列伝は個人の生涯について詳しく書かれているので、大幅に読みやすくなる。

ただ、ちくま版は最初に完訳された『史記』なので、明治生まれの御兄弟による翻訳ということもあり、言い回しが古めかしくて分かりにくさがある。

むろん、最初に『史記』を全訳したという偉業は変わることがない

イオニアって凄いよね!

図書館で徳間版を(「李斯列伝」目当てに)3巻だけ借りたことがあったのだが、訳文はこちらの方が分かりやすかった。
「書・表」なんていらなくて、歴史の流れが分かれば良いなら、徳間版で読む方がベターかもしれない。

史記』読んだ後なら、もしかして『百年の孤独』余裕?

📖古代と現代をつなぐ『風土記』

風土記」という言葉はよく耳にする。
現在でもNHKで『新日本風土記』という番組が放送されている。
「ふどき」という固有の読み方から、漠然と古代の歴史書というイメージだけがあった。

記紀神話の外伝的補足として「出雲国風土記」を目的に読み始めたが、実際に読んでみると、記紀神話は他の国の風土記でも多く記述されており、神話が広く全土に行き渡っていたのだと分かる。

風土記の完全版として残っているのは出雲国のみで、その他、脱落はあるもののマトモに残っている風土記常陸国播磨国豊後国肥前国の四か国だそうだ。

昔からあった地名

元明天皇の時代に、地名を二字に統一しろというお達しがあったようだ。
地名の由来は、地元民には興味深いところだろう。

現在でも使われている地名が記されており、古(いにしえ)の時代が身近に感じられる。
「昔の〇〇県はこんな感じだったのかー」という、現代の都府県視点で見るのも面白い。

常陸国の魅力

常陸国風土記がなかなか面白かった。

古の時代から「茨城」「筑波」「行方」といった地名が存在していたことを知る。
今でこそダサい県の代名詞みたいになってしまった茨城県だが、「茨の城」なんて字面は何ともカッコイイじゃないか。
しかしその名には、茨を用いて土蜘蛛*1を征伐したという残酷な物語が背景にある。

泉が清らかであるとか、肥沃な土地であるとか、海の幸にも山の幸にも恵まれているから此処でまじめに働けば裕福に暮らせるとか、老若男女集まって楽しくやってるとか、良いことが多く書かれていて、「常世の国」とは常陸国のこととまで書かれている。
都から降ってきた役人による記録らしいので、自画自賛という訳でもなさそうだ。

今でこそ魅力度ワースト1になってしまった茨城県も、かつては常世の国と言われてたんだね。

記紀神話とのつながり

逸文はバラけているので読みにくいが、かなり広範囲に記紀神話は広まっていたのだと分かる。

所々にオオナムヂ*2スクナビコナのコンビが登場し、また、意外にも刀剣の神・フツヌシがよく登場する。

古事記』では葦原中国に派遣される刀剣の神はタケミカヅチであり、フツヌシに該当するものは「フツノミタマ」という刀剣の名で登場する。
日本書紀』ではフツヌシとタケミカヅチのペアで葦原中国に降臨するが、主導的立場はフツヌシであり、『風土記』に至ってはフツヌシが単独で行動しているかのようである。
世間一般的には『古事記』の影響が強いせいか、タケミカヅチの方が知名度が高いのではないだろうか。
しかし、『日本書紀』と『風土記』ではフツヌシの方が重視されているように見える。

風土記』に記述はないが、タケミカヅチ茨城県鹿島神宮に、フツヌシは千葉県の香取神宮に祀られており、この二つの神社は利根川を挟んで向かい合っている。

バディものの創作が人気を集めているが、オオナムヂとスクナビコナ、フツヌシとタケミカヅチはバディものの走りと言って良いかもしれない。

次々登場する女リーダー

古には女性のリーダーが珍しくなかったようだ。

「土蜘蛛」と呼ばれる、天皇に従属しない土着の民にも多く女性のリーダーが登場する。
現代では男尊女卑の代名詞的な地域と見られている九州地方の豊後国肥前国にも多く見られるほどだ。

神功皇后や、のちの女性天皇のように、女性が統治者になることへの抵抗のような記述は『日本書紀』にも『風土記』にも見られない。
魏志倭人伝』には、卑弥呼の死後、男の王になったが、国中の者が心服せずに殺し合ってばかりいたので、十三歳の娘・壱与を女王に立てて、ようやく安定したとある。

国史と比べても、日本の歴史書には非常に多く女性の名が記述されている。
女性だからと侮られるような記述も『古事記』『日本書紀』『風土記』には見られない。
今でこそ日本は、ジェンダーギャップが先進国ワースト1であるが、男尊女卑思想は決して日本の伝統文化という訳ではなさそうだ。

風土記』の魅力

伝説的な神話と現代にも残る地名などの由来が記された『風土記』は、古代と現代を繋ぐ歴史書のように感じた。

特に島根県茨城県兵庫県大分県佐賀県長崎県出身の人々には興味深いのではないだろうか。

 

角川ソフィア文庫は各国の『風土記』を網羅。
下巻には講談社学術文庫では刊行されなかった豊後国肥前国、その他の国の逸文が収録されている。

*1:天皇服従しない土着の民が、おおむね穴倉に住んでいたことから、このように呼ばれていたようだ。

*2:大国主命