あとぢゑ〜る

大人の発達障害と麻雀初心者の歩む道

🌸尾車親方(琴風)が再雇用任期満了前に退職

尾車親方(元大関・琴風)が再雇用の任期満了を待たずに協会を退職することが明らかになった。

再雇用制度の問題点

日本相撲協会の再雇用制度とは、65歳の定年を迎えた親方が協会と契約し、年寄名跡を取得したままで70歳まで協会に在籍できるという、嘱託社員のようなものである。

高齢化社会なので元気な人が働けるシステム自体は悪いものではないが、この相撲協会の再雇用制度には大きな問題があり、相撲ファンの間でも疑問視されている。

それは、再雇用された親方が限られた年寄名跡を占有したまま協会に在籍し続けるために、引退した力士が年寄名跡を取得できずに協会を退職せざるを得ない状況に追い込まれていることである。

若手が協会を去って、老人が協会に居座り続けるという、老害システムとしか言いようがない制度なのだ。
なぜ、名跡を取得したまま在籍なのか。
せめて年寄名跡は手放して、現役の四股名で親方として残るようにはできなかったのか。

この再雇用制度は2014年から始まっているが、この時は北の湖理事長時代である。
どうして、このような制度ができることになってしまったのか、首を傾げるばかりである。

尾車親方の功績

中山浩一少年(のちの琴風)は中学生時代に琴櫻*1内弟子として佐渡ヶ嶽部屋に入門したが、当時の師匠*2の直弟子ではなかったために、兄弟子たちから酷く虐げられていたそうだ。
しかし学業成績は優秀で、体育以外はオール5だったという。

今でこそ、大関から序二段まで陥落し、そこから復活して横綱まで昇進した照ノ富士を始めとし、栃ノ心や宇良といった力士たちが、番付下位まで落ちても復活して活躍することは珍しくなくなったが、長いこと琴風の名は復活劇の代名詞となっていた。
琴風はケガで幕内上位から幕下に転落し、そこから這い上がって大関に昇進した。


その逆境を跳ね返す意思の強さは親方になってからも発揮した。
尾車親方は巡業部長時代にシートに足を引っかけて転倒し、打ちどころが悪く、全身麻痺に陥り、呼吸器をつけたままの生活になるとも言われていたそうだ。
しかし、懸命のリハビリにより、自力で歩行できるまでに回復した。
しばらくはNHKの解説で激やせした姿を現して心配されていたが、糖尿病も治ったせいなのか、その後は順調に回復し、現役時代のニックネーム”ペコちゃん”を思わせるふくよかな顔に戻っていった。


部屋の師匠としては、豪風嘉風らを育てた。
天風の四股名のエピソードを聞く限り*3、温厚な師匠だったようである。

尾車親方は、協会ナンバー2の事業部長として、八角理事長(第61代横綱北勝海)を支えた。

このころに「貴乃花の乱」が起こったが、頭の切れる尾車親方が協会内の権力闘争を主導していたと言われており、八角理事長や春日野親方(元関脇・栃乃和歌)、さらに貴乃花親方と決裂した阿武松親方(元関脇・益荒雄)らとともに、たびたび貴乃花親方の信奉者たちから誹謗中傷を喰らった。
野球賭博事件で相撲協会を退職した貴闘力は、尾車親方への怨恨が深いようだ。

貴闘力さぁ~
裏金顧問についての暴露話まだかぁ~~?

尾車親方は表向き穏やかな常識人であったが、裏の顔は怖い人とも言われていた。
相撲界という伏魔殿で頭脳プレーを発揮していたとも言える。
定年後は執行部役員から離れていたとは言え、尾車親方という頭脳が協会を去ることで何らかのタガが緩むのではないかと懸念もしている。

八角長期政権への懸念

八角理事長は角界で不祥事が起こるたびに世間からバッシングを受け続けているが、彼にも表向きには知られていない大きな功績がある。
裏金顧問こと小林慶彦を相撲協会から追放したことである。
この件で、八角理事長と尾車親方は共闘していた。

テレビのワイドショーは相撲協会叩きはしても、この裏金顧問については1ミリも触れたことがない。
それゆえに八角理事長の功と罪のうち、罪の方ばかりがクローズアップされ、世論は八角辞めろの連呼である。
本来なら、功の方も併せて評価すべきなのだ。

しかしながら、長期政権ゆえに功よりも罪の方が積み重なってくると、いずれは破綻も見えてしまう。
八角理事長は、暴言や不当な給料減額などのパワハラを働いた主事を厳しく断罪することができなかった。
泣いて馬謖を斬れなかったのである。
たとえ小林を切ったとしても、このような情治采配では、新たな癌の増殖が繰り返されるだけだろう。

 

*1:第53代横綱琴櫻傑將

*2:元小結・琴錦

*3:弟子の川成が十両に昇進する際、師匠として四股名を考えていたが、本人が希望する四股名「天風」に押されてしまい、尾車親方は苦笑いしていた。師匠が考えた四股名を突っぱねることは、師匠絶対の相撲界ではありえないことだった。

🌸日本相撲協会が八角理事長である理由(1)

日本相撲協会の理事長は八角親方(第61代横綱北勝海)の続投となった。
この件について、世間での批判も多い。
何しろ角界では不祥事が相次いでいるからだ。
ここでは書ききれないほどだ。

批判内容は
「ずっと不祥事が相次いでいるのは八角理事長が無能だからだ」
「責任を取って辞任すべき」
というものだ。

それではなぜ八角親方が長らく理事長を務めているのか。
簡潔にいうと、ほかに適任者がいないからである。

角界は番付社会なのだ。
現役時代だけでなく、それは親方になってからも続く。
横綱が一番偉いのだ。
だから理事長もできうる限り、元横綱から選ばれる*1

 

番付、そして年功序列

今現在、相撲協会に属している元横綱の親方は以下の7名しかいない。

 

八角(第61代横綱北勝海

芝田山(第62代横綱大乃国

伊勢ヶ濱(第63代横綱旭富士

武蔵丸(第67代横綱武蔵丸

・宮城野(第69代横綱白鵬

音羽山(第71代横綱鶴竜

稀勢の里(第72代横綱稀勢の里

 

世代で分けると、北勝海大乃国旭富士千代の富士と同時代の第一世代。
武蔵丸若貴曙と同時代の第二世代。
白鵬鶴竜稀勢の里は、つい最近まで現役だった第三世代である。

親方としての実績がほとんどない第三世代は当然理事長などという顔ではない。
第二世代の武蔵丸にしても、外国出身というハンデがある*2
彼は出羽海一門という大勢力にあって、第一世代の先輩格を差し置いて出世しようというタイプでもなさそうだ。
いかんせん部屋の師匠として育成実績に乏しいので、彼もまた顔ではないのだ。
そうなると結局、第一世代から選べば元北勝海八角親方以外にいないということになる。
第一世代の元横綱である大乃国旭富士では理事長になれない理由があるのだ。

 

二度も訴訟を起こされた芝田山親方

横綱大乃国芝田山親方は部屋の師匠として、驚くほど実績がない。
彼の部屋からは関取が三人出ているが、生え抜きの大勇武は十両を一場所で転落した。
さらに、暴力を受けたり一方的に引退させられたという理由で芝田山相手に訴訟を起こしている。
他の二人は大乃国の師匠である魁傑からの預かり弟子であったが、いずれも十両止まりであった。
それ以降はまるで関取が誕生していない。
他にも、所属していた元力士から、暴力を受けて片眼を失明したという理由で訴訟を起こされている。

芝田山親方は自分でバイクの改造をするような知能と、スイーツ作りという器用さを持つ。
彼は横綱でありながら特権を使わず、健康診断では他の力士の後ろで順番待ちをしていたとか、家のゴミ出しまでしていたという逸話がある。
対外的にも常識人風の話し方である。
しかしながら、芝田山親方自身に理事長になろうという野心がなさそうだ。
何しろ彼は元横綱でありながら、なかなか部屋の独立に踏み切らなかった。
それでは、部屋の運営に関心がないと思われても仕方がない。


理事長ともなれば協会挨拶もしなければならないので、今現在は杖をついて歩いている芝田山親方では理事長職は難しいと思われる。

その上、今回の職務分掌では閑職と言われる相撲教習所所長に就任している。
一部の報道では、宮城野親方の肩をもったために閑職に回されたなどと言われているが、彼は八角理事長の理解者であり、八角自身がそのことに感謝していた。
その程度の理由で閑職に回されるとは考えづらい。
芝田山親方は体調面で執行部役員を務めること自体難しくなっているのかもしれない。

 

二度の暴力事件を起こした伊勢ヶ濱部屋

横綱旭富士伊勢ヶ濱親方は芝田山親方とは対照的に、名伯楽として知られている。
日馬富士照ノ富士、二人の横綱を育てた。
特に照ノ富士は、ケガと病気で大関から序二段まで陥落したが、そこから横綱に昇進するという相撲史においても前代未聞の偉業を成し遂げたのだが、それも伊勢ヶ濱親方の慰留があったからである。
その上、尊富士が新入幕で初優勝という110年ぶりの、部屋別総当たり制になってからは初の快挙を成し遂げた。
関取も数多く育てている。
審判部長時代は土俵下から凄みをきかせており、「組長」というニックネームまである。

それだけに、ヤフコメ等ではしばしば「伊勢ヶ濱親方を理事長に」という意見を目にする。
しかしながら、伊勢ヶ濱部屋も、横綱日馬富士貴ノ岩に対する傷害事件で引退を余儀なくされ、最近でも幕下力士による熱湯ぶっかけ事件など、かなりえげつない暴力沙汰が起きている。
今回、北青鵬による暴力事件で宮城野部屋が閉鎖され、師弟ともに伊勢ヶ濱部屋預かりとなったが、暴力事件を起こした部屋が暴力事件を起こした部屋の面倒をみるという奇妙な事態になっている。

また、伊勢ヶ濱一門が弱小で票を集めきれないことや、伊勢ヶ濱親方にあまり人望がないという話もある。
彼は、理事に就任するまでに、かなりの時間を要している。
横綱でありながら、一時的に預かり弟子だった元前頭の春日富士に先を越されて同門の理事に就任されてしまったという経緯があるのだ。
さらに、審判部長時代には、自分の弟子を有利にする判定を何度か行なっており、不信を招いてもいる。

 

上記のように、第一世代の芝田山伊勢ヶ濱は理事長に就任するには不適格であることが分かる。

それでは、その他の第一世代を見てみよう。

 

暴力部屋の師匠が協会ナンバー2に就任

次は第一世代の元大関であるが、次々と協会を退職したか、鬼籍に入っている。
そうなると次は関脇以下の親方しか残っていない。
その一人が、今回、協会ナンバー2と言われる事業部長に就任した春日野親方だが、この部屋もたびたび暴力沙汰が起きている。
何しろ親方自身が弟子の栃ノ心をアイアンで殴って、アイアンの方が折れてしまったという有名な話がある*3
さらに、部屋の元力士だった矢作嵐が兄弟子を傷害罪で訴え、兄弟子が有罪判決を受けている。
今現在も、弟子の栃武蔵が栃神山に暴行し、春日野親方が事件を隠蔽したと新潮に取り沙汰されているのだ。
つい最近、元大関・霧島の陸奥親方も部屋の暴力事件で事業部長から降りた騒動があったばかりなのに、何とも危うい人事である。

清廉な境川親方は前に出ず

角界が番付至上主義でなければ、元小結・両国の境川親方が事業部長になっても良さそうなものだ。
何しろ境川親方は弟子たちから陰で愚痴や不満を言われることがないと言われる人なのである。
彼は現役時代からガチンコ力士としても知られていた。
この部屋からは不祥事が出たという記憶がない。
それどころか総勢20名もの部屋の力士が橋から転落して溺れている女性を救助したというニュースが出てくるほどだ*4
しかしながら、境川親方という人は現役時代の番付を考慮してなのか、表立って出てくることがない。

 

こういった事情から、第一世代からは、暴力事件を出していない八角親方しか理事長の適任者がいないことがわかる。

 

テレビでは報道されない八角理事長最大の功績

そして、特に相撲界の事情に詳しくない限りは知られていないだろう八角親方最大の功績がある。

それは、裏金顧問こと小林慶彦を相撲協会から追い出したことである。

この件については、長くなるので、また改めて。

 

 

 

*1:過去には元大関豊山時津風や元大関・魁傑の放駒が理事長を務めたことがある。特筆すべきは元前頭(いわゆる平幕力士)出羽ノ花武蔵川理事長。彼は頭脳明晰で、”角界の代議士”と呼ばれるほど弁が立ち、国会議員を感嘆させている。

*2:頭脳明晰と言われた小錦も日本語で書類を書くことには苦労したようで、監察室では仕事にならず、彼が早々に協会を去った理由の一つと言われている。

*3:ただし、栃ノ心自身は師匠大好きを公言していて、自ら頼んで師匠の締め込みを譲り受けている。

*4:本場所の取組で命を落とした響龍は境川部屋の力士であるが、部屋の不祥事ではないため、ここでは触れていない。